やたらと恋愛描写を入れたがる邦画は『ドルフ・ラングレン 処刑鮫』を見習うべき―物語の軸がぶれないということ―
まあタイトルからしてわかる通りB級映画である。
つまり、多くの男子の大好物である。
湖に鮫が現れてどうなるこうなるというストーリーだけでもわくわくするのに、ドルフ・ラングレンが出演するとなれば観ないわけにはいかない。
肝心の映画の出来は予想通り。
そもそも制作費が200万ドルなので(ジョーズは700万ドル)、キャストが偉く少なく、サメのCGも素材を買ってきたのかな?と思わせるチープな出来である。
銃を発砲した時のマズルフラッシュも合成した感満載である。
もちろんこれら全てを含めて素晴らしい。
これぞB級映画である。
で、この映画の素晴らしい点、ほんとに手を叩いて賞賛しないといけない点がある。
それは物語の目的が一貫していることである。
登場人物達はただ一つの目的に向かって動いている。
そう、サメを退治(捕獲)すること。
町の保安官もサメ番組の人も学者もマフィアもドルフ・ラングレンも目的はサメを捕獲もしくは退治することだ。
そこは映画の最初から最後まで一切ぶれない。
途中マフィアが娘をネタにドルフ・ラングレンを脅迫する展開が入り、ドルフ・ラングレンは嫌々ながらもマフィアに協力せざるを得なくなるが、その展開でさえサメ捕獲の物語を加速させる。
ああ、素晴らしい。
物語の軸がぶれないとはほんとに映画を作る上で最低限のマナーである。
いや、当たり前だろと思うかもしれないが、物語の軸がブレる映画はよくあるのだ。
例えば、2006年版の『日本沈没』、2009年の『感染列島』。
私はこれらの映画がほんとに嫌いなのである。
今まで当たり前だった日常が目の前で崩壊していってるのに主人公とヒロインのどうでもいい恋愛話が進行する不愉快さ。
恋愛話が挿入された途端に緊張感が薄れる。
なぜなら映画の中で起きている解決しなければいけない問題と登場人物の恋愛は全く別の軸だからである。
恋愛を描きたいならきちんと恋愛に軸を置かなければならない。
災害で崩壊する中での人間模様に軸を置きたいならきちんとそっちに軸を置かなければならない。
被災地に何度も行った人間として断言するが、日常が壊れていく中で人は悠長に恋愛など出来ないのである。
1000歩譲って『日本沈没』と『感染列島』が東日本大震災前に出来た映画だとしても、阪神淡路大震災の後の映画だろう。
はっきり言って両者は浅はかな映画である。
それに引き換え『ドルフ・ラングレン 処刑鮫』は良い映画だった。
やたらと恋愛描写を入れて物語の軸をぶらぶらさせる日本の監督はこの映画を見てストーリーテリングを学ぶべきだ。