ディズニー版『ノートルダムの鐘』の感想―これってそんなに名作かな? むしろ不快な駄作―
妻におすすめされて『ノートルダムの鐘』を観てみた。
このブログでわざわざ書くまでもなく、この映画はヴィクトル・ユーゴ原作の『ノートルダム・ド・パリ』をディズニーがアニメーション化したものである。
画面の美しさやストーリーと音楽の組み合わせなど様々な要素が評価されており、ディズニー映画黄金期再来と言われるほど屈指の名作に数えられている。
が、私はこの映画を見ても全然面白いと思えなかった。
この映画のストーリー上最も伝えたい事は映画のラスト、カジモドがエスメラルダに手を引っ張ってもらって大聖堂の外の世界へ踏み出し、外の世界に迎え入れられた点であると言える。
本来ならば物語上最もテンションが上がるシーンであるが、私は全然盛り上がれなかった。むしろ不快感すらあった。
この映画最大の汚点は、カジモドを特別(過ぎる)人間にしたことである。
このカジモドという男は赤ん坊の頃に井戸に捨てられるはずだったところを司祭によって助けられる。
つまり神によって助けられるのである。
そして、フロローによって軟禁され、鐘衝きとして育てられる。
カジモドは醜い容姿として生まれ育ち……というストーリーなのだが、アニメの弊害か、そんなに醜い容姿ではないのだ。
これがゲゲゲの鬼太郎くらい怖い容姿ならわかるが、ディズニーのアニメはいかんせん醜く見えない。
カジモドはフロローの言いつけどおり外の世界には出ず、毎日鐘楼から町を見下ろすだけの生活をする。
そんなカジモドが自分の願望をミュージカルで表現する。
そう、カジモドが『僕の願い』を歌いながら大聖堂の中をアサシンクリード並の動きで移動する。
私は、そのシーンを見た時に度肝を抜かれた。
「あれ、軟禁されてなくない?」
これが私の感想なのである。
人間というのは必ず反抗期みたいなものがある。カジモドは13歳の時とか17歳の時とかにこのアサシンクリードな技能を使って外の世界に飛び出したことはないのだろうか?
しかもこのシーン、町の描写が美しすぎるのだ。細部のディテールまで拘って描かれているので町が全然遠い世界に見えない。
『塔の上のラプンツェル』は良かった。
ラプンツェルが軟禁されている塔は本当に人の世界から隔絶された森の中に建てられていて、例えこの塔を一人で抜け出た所でどこに行っていいのかわからない途方にくれる感じがある。
さらにラプンツェルの育ての親ゴーテルはラプンツェルを閉じ込めるために嘘をついて育てるのだが、その嘘をつく時の顔は優しい母親のようにも見えて、ほんとうにゴーテルは自分のことを思って助言してくれているんだと錯覚してしまう魅力(魔力?)がある。
対してカジモドを閉じ込めているフロローは誰が見ても酷い奴だ。
これはフロローの設定のせいだと思える。
ディズニーの悪役にしては珍しく、フロローは自分の行いが正義だと信じている。
そのため、フロローは自分の本性を惜しげもなく周りに見せつけている。
これでは、フロローに騙されているカジモドに共感できない。
アサシンクリード並の運動神経があるならカジモドはフロローを一、二発殴ってやれば良いのだ。
『塔の上のラプンツェル』は18歳という年齢が良かった。
そりゃー、この年齢の女の子なら親の言うことばかり聞くのも嫌になるよねという説得力がある。
しかも、絵を描くスペースがなくなってきたことや自分の誕生日に空に舞い上がる「灯り」の正体を突き止めたいという明確な目的もある。
塔の外の世界を案内してくれる、盗賊(フリン aka ユージーン)という存在もある。
『塔の上のラプンツェル』は外の世界に踏み出す因果関係がちゃんと一つ一つしっかりしているのだ。
『ノートルダムの鐘』のカジモドが言いつけを守っている理由が全然理解できない。
そんな私の捻くれた疑問に対してディズニーはとんでもない設定で対抗してくる。
カジモドは醜い容姿を持ちながらも優しく純粋な青年。
うん、そんなわけねえだろ!
いや、なぜそうなのか説明してくれ!!
だってカジモドは自分は母親に捨てられたと思っており、あの自分の邪悪さを隠しもしないフロローに育てられているのである。
そんなカジモドが優しく純粋な青年に育つか!!!?
これも、この作品がカジモドを特別視している点である。
カジモドはある日思い切って大聖堂から抜け出し、道化の祭りに参加する。
カジモドはそこでエスメラルダに出会う。エスメラルダは人々にいじめられるカジモドをかばった……ということになっているが、どう見ても最初にかばったのはクロパンだろう!!
クロパンが「今日は町で一番の醜男を決める日だ!」と叫んで、街中の人はカジモドを盛り上げる。
はっきり言って、町の人に盛り上げられるシーンも不快である。
ここでカジモドが祭り上げられるのは、この日があべこべの日だから祭り上げられているのであって、それはつまりカジモドは結局醜い男ということだろう。
カジモドはその後衛兵に野菜や果物を投げられて汚される。
町の人々はそんなカジモドを見て面白がり、衛兵のいじめに加担する。
ここもとっても不快。
普通に、この町の人達ってすっげー嫌な奴じゃん。
そこにエスメラルダが颯爽とやってきて、『フライト・ゲーム』のリーアム・ニーソンばりに演説をして町の人達を説得し、さもいじめを止めなかったフロローが悪いみたいな空気にしている。
でも、悪い奴らってフロローじゃないよね?
少なくともフロロー一人ではない。
というか、なぜエスメラルダがカジモドに優しくしているのかがわからない。
エスメラルダは大聖堂で「虐げられた者も 皆 神の子」という趣旨の歌『ゴッド・ヘルプ』を歌う。
つまり人類皆平等ということである。
この辺りは見ていて「うん、そうだ。そうだ」と思うのだが、カジモドの親友である石像達は『ガイ・ライク・ユー』の中で、カジモドは「他の男とは違う 君は特別な男」という趣旨の歌を唄う。
いやいや、だからさ、それっておかしくない?と思うのだ。
カジモドは自分の特別な境遇と容姿を嫌っているのだろう。
皆と同じような暮らしをしたいと思っているのだろう。
そんな男に「君は特別な男」なんて言って勇気づけになると思う??
カジモドはエスメラルダが本当に恋をしているのはフィーバスだと知って落ち込む。
この下りも私は全然共感できない。
なぜなら、観客である私はエスメラルダとフィーバスが『ローマの休日』のあの二人並に息の合ったやりとりで死線をくぐり抜けてきたことを知っているからだ。
だから、うん、そりゃエスメラルダとフィーバスは結ばれるよねと思う。
カジモドは逃れてきたフィーバスを匿うのだが、そこも納得できない。
だって、恋敵だよ。
カジモドにとっての初恋って、それこそその辺の連中の初恋より重く大切なものだよ。
それなのに、フィーバスを匿っちゃう。
あれだけ言いつけを守ってきたカジモドなのに、ここではフロローを裏切って、恋敵であり出会って間もない相手のフィーバスを優先してしまう。
納得できない。
でもこれもディズニーさんは「カジモドは優しく純粋な青年だから」で片付けちゃうのでしょう。
物語のクライマックス、カジモドとフロローは一騎打ちをする。
フロローはそこで母親のことをカジモドに打ち明ける。
カジモドは驚く。
でも、観客は驚かない。
なぜなら観客はずっと前に知っていたから。
てか、カジモドの母親もジプシーでエスメラルダもジプシーなんだから、そこもっと盛り上げられんかったん?という疑問の方が浮かぶ。
カジモドを追い詰めたと思ったフロローだったが、ついに神の逆鱗に触れて死亡する。
なぜ??
フロローはカジモドを拾ってから20年の間も数々の悪事を働いていただろう。
ていうか、カジモドと会う前から悪いことしてただろう。
それならばここで神がついに怒る理由がわからない。
この映画の最初の約束に反したから、という理由かもしれないが、結局それってカジモドを特別扱いしているということである。
この辺の下りも心底不快である。
ここは石像達ユーゴ、ヴィクトル、ラヴァーンがジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウ並に息の合った動きでカジモドを援護して、カジモドがちゃんとフロローと決着をつける。
カジモドがアサシンクリードな体術でフロローに一撃を食らわすが、カジモドは心が優しいのでトドメはささない。
カジモドとエスメラルダはその場を去ろうとするが、フロローは尚もエゴイストを発揮してカジモドを殺そうとする、そこに神の怒りが発動する。
てな流れにしないと。
映画のラスト、エスメラルダに手を引っ張られてカジモドは外の世界に足を踏み出す。
ただし、ここのカメラワークが気に食わない。
エスメラルダは子どもを覗き込むかのように上からカジモドに手を差し出す。
なんじゃそら。
カジモドは20歳だぞ!!
カジモドは恐る恐る大聖堂の外へ出る。
でも、観客はとっくの昔にカジモドがアサシンクリード並の動きで道化の祭りに参加するため外の世界に出たのを見ているので特に感動はない。
幼い女の子が近づいてきて、カジモドの顔に手を添える。
この演出も不快。
この映画の中でカジモドの容姿について触れられたのは道化の祭りの時だけである。
その後は終始、フロローのエゴイズムを物語の加速剤にして恋物語が展開されていたので、ラストのこの女の子の行動が取ってつけたように見える。
女の子に手を引っ張られてカジモドは町の人達の中へ歩を進め、迎え入れられる……となっているがそれも意味不明。
フロロー達権力側と闘っていたのはジプシーだろう。
だからジプシーがカジモドを受け入れるのはわかるが、町の人達が受け入れる理由はよくわからん。
っていうか、この町の人達は道化の祭りでカジモドを祭り上げたかと思いきや衛兵がいじめを始めたら手のひらを返してそれに加担したやつらだろう。
そんな連中を信じられる??
そんな連中とこれから幸せに暮らしていける?
うーん、無理だと思うね。
そもそもこの町の人達とフロロー側との距離感がつかめない。
カジモドがアベンジャーズな力で鎖を引きちぎり、アサシンクリードな動きでエスメラルダを救い出し、大聖堂のステンドグラスの前でエスメラルダを抱えて町の皆が蜂起する下りも全然共感できない。
エスメラルダってそんなに自由と平等の象徴だったっけ?
この町の人達ってフロローのせいで生活を制限されてたっけ?
フロローが地下牢で拷問をしているシーンはあるけど、道化の祭りだって別に規制されていなかったし、なんならフロローも祭りを見に来てたよね?
だったら、町の人の暮らしってそんなに抑制されてないのでは?
少なくとも表向きは権力によって抑圧されてない気がする。
だから、フロローを倒したカジモドを迎え入れる町の人達の描写が薄っぺらく感じてしまうのだ。
そして、私がこの映画で最も解せない。心底不快で仕方ないのが石像達である。
彼らはカジモド(とジャリ)の前でしかキャラクター化しない。
これって、結局カジモドが特別だっていいたいのでしょう?
それってなー。
カジモドって特別だから虐げられているんだよね?
だから、映画では石像のキャラクター達が実は他の人にも認知される下りを入れて、カジモドは特別だと思っていたけど、それって普通の人にも認知できる”特別”だったんだ。
つまり、カジモドの”特別”は特別じゃないんだ!!
っていう話にしないと結局カジモドは他の人と違うという認識から抜け出せないのではないかしら。
こんだけカジモドは特別だ!!と劇中で描いておきながら、エスメラルダはフィーバスを選ぶ。
金髪イケメンの”普通”の人を選ぶ。
いったいどこにカタルシスがあるん??
そんなわけでこの映画の終始「カジモドは特別」な感じが受け付けなかった。
テーマがテーマだけにそれって結局「障害者は特別」「虐げられている人は特別」という感じが拭えない。
1996年公開とはいえ、今時外に出る=ハッピーエンドというのも……。
虐げられる人は、外に出られても容姿や境遇でバカにされるから、外に出ないんでしょう。
そこに対するアンサーになっていない。
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