ぽんぽんびより

本業は写真家なのに町づくりや震災支援の仕事に巻き込まれてます。

やたらと恋愛描写を入れたがる邦画は『ドルフ・ラングレン 処刑鮫』を見習うべき―物語の軸がぶれないということ―

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Netflixで『ドルフ・ラングレン 処刑鮫』を観てみた。

 

まあタイトルからしてわかる通りB級映画である。

つまり、多くの男子の大好物である。

湖に鮫が現れてどうなるこうなるというストーリーだけでもわくわくするのに、ドルフ・ラングレンが出演するとなれば観ないわけにはいかない。

肝心の映画の出来は予想通り。

そもそも制作費が200万ドルなので(ジョーズは700万ドル)、キャストが偉く少なくサメのCGも素材を買ってきたのかな?と思わせるチープな出来である。

銃を発砲した時のマズルフラッシュも合成した感満載である。

もちろんこれら全てを含めて素晴らしい

これぞB級映画である

 

で、この映画の素晴らしい点、ほんとに手を叩いて賞賛しないといけない点がある。

それは物語の目的が一貫していることである。

登場人物達はただ一つの目的に向かって動いている。

そう、サメを退治(捕獲)すること

町の保安官もサメ番組の人も学者もマフィアもドルフ・ラングレンも目的はサメを捕獲もしくは退治することだ。

そこは映画の最初から最後まで一切ぶれない。

途中マフィアが娘をネタにドルフ・ラングレンを脅迫する展開が入り、ドルフ・ラングレンは嫌々ながらもマフィアに協力せざるを得なくなるが、その展開でさえサメ捕獲の物語を加速させる。

ああ、素晴らしい。

物語の軸がぶれないとはほんとに映画を作る上で最低限のマナーである。

 

いや、当たり前だろと思うかもしれないが、物語の軸がブレる映画はよくあるのだ。

例えば、2006年版の『日本沈没』、2009年の『感染列島』。

私はこれらの映画がほんとに嫌いなのである。

今まで当たり前だった日常が目の前で崩壊していってるのに主人公とヒロインのどうでもいい恋愛話が進行する不愉快さ

恋愛話が挿入された途端に緊張感が薄れる

なぜなら映画の中で起きている解決しなければいけない問題と登場人物の恋愛は全く別の軸だからである。

恋愛を描きたいならきちんと恋愛に軸を置かなければならない。

災害で崩壊する中での人間模様に軸を置きたいならきちんとそっちに軸を置かなければならない。

被災地に何度も行った人間として断言するが、日常が壊れていく中で人は悠長に恋愛など出来ないのである。

1000歩譲って『日本沈没』と『感染列島』が東日本大震災前に出来た映画だとしても、阪神淡路大震災の後の映画だろう。

はっきり言って両者は浅はかな映画である。

 

それに引き換え『ドルフ・ラングレン 処刑鮫』は良い映画だった。

やたらと恋愛描写を入れて物語の軸をぶらぶらさせる日本の監督はこの映画を見てストーリーテリングを学ぶべきだ。

 

 

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【ポケスペ】なぜ小学生だった私はポケットモンスターSPECIALの世界に惚れたのか

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先日は真斗さんの描くポケスペの絵について語ったので、今回はポケスペの世界観について語ろうと思う。

また、例のごとくこのブログはポケスペの作画交代を批判したり、真斗さんの復活を希望したり、今のポケスペより昔のポケスペの方が良かったと主張するものではないことをここに明記する。

 

私がポケスペの第1巻を買ったのは、忘れもしない、広島の福屋の向かえにあるフタバ図書八丁堀店である。

当時フタバ図書の2階がまるまる漫画コーナーになっており、そこでポケスペに出会った。(店内には、ポケスペのPOPも展示されていた。)

当時の私はまだ小学○年生という雑誌を知らなかったので、ポケスペの中身も知らないで購入したことになる。

だが、それは別に珍しいことではなく、あの頃ポケモンにハマっていた小学生はポケモンと名のつくマンガは片っ端から買っていた。

ギエピーはもちろん電ピカ、四コマ劇場、インカムでピカチュウと会話するあさだみほ先生の『ポケモンゲットだぜ!』、中村里美先生の『ポケットモンスター全書』、姫野かげまる先生の『ポケモンカードになったワケ』、印照先生の『めざせ!!カードマスター』などなど。

その中でもポケスペというのはどこか特別だった。

前回の記事でも触れているが、ポケスペポケモンの世界観を補間するのにベストなマンガだったからだ。

eigaanime.hatenablog.jp

 

何度も言うが、当時はポケモンの世界に関する情報がほんとに不足していた

ポケモンの姿は基本的にゲーム中のドット絵か取説や攻略本に描かれている絵でしかわからない。

「そりゃそうだろ!」と思われるかもしれないが、今のように動きのある絵ではない。

ゲーム中ポケモンが技を繰り出すときだって、画面がチカチカ光ってデュクシ」と音がするだけである。(個人的に好きなエフェクトははかいこうせんだった。)

ポケモンいきいきとしたモーションをきちんと見れるようになったのは、『ポケモンスタジアム』が発売されてからだった。

また、スペックのせいもあって、ゲーム中のフィールドは(今と比べると)驚くほど狭かった

建物はいくつか建っているけど、入れる建物はわずか。

ゲーム進行上必要な建物と人しか配置されてないフィールド。

クチバシティのサントアンヌ号がいい例かもしれない。

(そんなわけないのに)同級生とサントアンヌ号に乗って旅に出る方法をあれこれ試した

子どもながらに「もっと広かったらもっと壮大な冒険ができるんだろうなー」と思いながらプレイしたものだ。

 

さて、ポケスペの単行本を買って最初の話にまず度肝を抜かれる。

「第1話 VSミュウ」

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!!!!??????

「あの幻のポケモンを第1話に!!!??? このマンガただもんではない!!!!!」

これが小学生の私の率直な感想だった。

なにせ当時のキッズ達にとってミュウはほんとに幻のポケモンで、「ミュウというポケモンがいるらしい」という噂はあるがそれがほんとなのか実在するならどうやって捕まえるのかとにかく話題だった

ミュウ - Wikipedia

そんなミュウを堂々の1話にもってくるなんてほんとにほんと、今読み返しても挑戦的だと思う。

さらに驚かされるのは主人公レッドがニョロゾを使っていること

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オーキド博士からもらう3匹でもなくピカチュウでもなく、ニョロゾを使う!!??

レッドが幼いころからずっと一緒と聞いて納得した。

ポケモンが当たり前にいる世界で、主人公がオーキド博士からもらう前にポケモンに出会っていてもなんら不思議ではない。というか、それが普通だ。

(私が、ニョロモが最初に立案されたポケモンだと知るのは後の話)。

フシギダネが初期からソーラービームを使うのも良かった。

レベルをあげて技を覚えていくというのはメタ的な要素なので、ゲームではそれが物語を加速させていくことになるが、マンガでそれを律儀に導入されると読者としてはあきてしまうのである。

もっといえば、レッドが光を当ててフシギダネソーラービームを使うという展開が良かったのだと思う

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フシギダネが生き物っぽいからである。

こういう細かなところに、ポケモンをほんとに居る不思議な生き物と思っている子どもへの配慮が感じられた

そしてポケスペでもっとも感動したのはポケモンの技が人間にあたること

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ゲームをしながら子どもながらに「かえんほうしゃって人間にあたったらまずいんじゃね」とか「はかいこうせんって威力どれくらいなの?」と思っていたからである。

もちろん子ども向けゲームでそんな描写があってはいけないが、子どもだからとてそういう発想にならないわけではない。

そこをポケスペは問答無用で描いてきた。

ポケモンとの闘いで命を落とすかもしれない。

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ポケモンはやさしいけど、こわい生き物。

だからこそ、ポケモンと人間の共存というテーマに説得力が生まれたのだと思う。

 

また、ポケモンの小ネタを随所に挟んだシナリオ

ポケモンスタンプオーキド博士のことが語られることが多いが、私がやっぱり素晴らしいなと思うのはブルーの存在だと思う。

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公式ガイドブックに描かれていた黒いワンピースの女の子

それをここまで魅力的なキャラとしてマンガに描いてくれたのは、ほんとに嬉しかった。

それら各メディアで展開されている小ネタが入ることによって、ポケモンの世界がどんどん広がった

 

第22話の「VSウツボット」の時に進化の儀式というシーンがあるのも趣深い。

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このシーンなぞは、首藤剛志氏の構想したポケモンの世界観に通じるのではないだろうか

いずれにせよ、今ほどゲーム機のスペックもなく、ポケモン人口も少なく、ポケモンの世界観が確立されていない時代だからできたのだと思う。

それ故に、ポケスペを通してゲームでは描かれていないポケモンの世界を想像するのが楽しかった

ポケスペ第1章のラスト、ミュウが感慨深げに見返って去っていくシーン。あのシーンは章の終わりにふさわしい名シーンだと思う。

ポケスペpbkを買って、あらためて幼い頃にこのマンガに出会えてよかったと思う。

 

 

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【ポケスペ】なぜ小学生だった私は真斗さんの描くポケモンの世界に惚れたのか

Amazonで注文していたポケットモンスターSPECIALのペーパーバック版(pbk)が届いた。

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再編・再録とはいえ、今年発売された漫画に日下先生と真斗先生の名前が並んでいるのは嬉しいものがある。

つい、ポケスペの最新刊を楽しみにしていた小学生の頃を思い出してしまった。

年甲斐もなく夜遅くまで読みながら、私は「なぜあの当時(小学生の時)こんなにも真斗さんの描くポケモンの世界に惚れたのか?」を考えた。

リアルタイムで読んでいた時は作画交代や学年誌の休刊が起こるなど知る由もなかったが、それら大人の事情を知ってしまった今、改めてなんで真斗さんの描くポケモンの世界を好きになったのかを振り返りたい。

なお、ポケスペの話題はデリケートな部分もあるためはじめに断っておくが、当記事はポケスペの作画交代を非難したり、真斗先生のポケモンの仕事への復活を希望する記事ではないことを明記する

 

 

デフォルメされつつもディテールにこだわった絵

私が初めてポケモンを知ったのは1996年、小学生の時である。

友達が持っているのに影響されて、私も親に買ってもらった。

ほどなくして、コロコロコミックや小学○年生という雑誌も知ることになる。

ゲームをやっていてその世界観にぐんぐん引き込まれたが、同時にゲームのスペック不足などの関係で(今と比べると)フィールドは狭く、エフェクトもちゃちかったためにゲームの世界観を補足するのに苦労した。

今では信じられないが、当時ポケモンの世界観を知る手がかりはあまりに少なかった。

まともな攻略本も少なかったし、公式資料集みたいなものもなかった。ネットもなかったので、裏話や画像検索をすることもできない。

なんせ、ドット絵エビワラーを本来の姿とは別の姿と見間違える時代である。

pokemongo-master.com

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当時ポケモン漫画の主力といえば言わずと知れたギエピーだった。

後は『ポケットモンスター四コママンガ劇場』とか『電撃!ピカチュウ』だった。

ギエピーは自由奔放過ぎるし、電ピカはアニメを基盤にしながらも作者の世界観が色濃く出ているし、四コマはゲームの世界観補正とはちょっと違う。

そんな中でポケモンの世界観と真っ向勝負したマンガがポケスペだったのである。

 

真斗さんの、ポケモンをデフォルメしつつもディテール(皮膚の模様や肌の質感)を妥協せず描き込んでいるのが子どもながらに共感できた。

 

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特にレッドの手持ちポケモンであるピカ(ピカチュウ)の抱き心地の良さそうな小さくて丸っこい感じに憧れた読者は多いのではないだろうか。

 

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この質感を丁寧に描きつつも、デフォルメされた、記号的なポケモンの描き方ゲームボーイの画面に表示されるドット絵に親しんでいた私にはとてもリアルに見えた。

 

このデフォルメされた絵の魅力は人物にもいえる。

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(いくら子どもを描いているからといって)ちっちゃくて丸っこい感じ。

ゲームの中を動き回る主人公のドット絵を漫画絵にしたらこうだよね!という感じがした。

 

 

やさしくて、でもこわい絵

真斗さんの絵に「あたたかみのある」「やさしさをかんじる」「でも、かっこいい」と感想を述べる人はたくさんいる。

私もそう思う。

小学生の時の私も真斗さんの絵のそこに惚れた。

しかし、今こうして振り返ってみると、実はそれ以上の魅力に私(達)は気づいていたのではないかと思う。

それは、「怖い」という魅力である。

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腐ったコダック実験体にされたギャラドス、試験管の中で作られるミュウツー暴走したミュウツーの細胞ブルーのトラウマである風景

その他、切断されたアーボックサワムラーに蹴られるレッドなどなど。

真斗さんはあたたかみのある絵とは反対の、怖い絵も描かれている。

しかしこの妥協なき怖い絵に私は惚れた

小学生だからと手を抜かれていないポケモン(というゲーム)だからと舐められていないところに私達は信頼を寄せることができたのである。

この優しい面もあり怖い面もあるという真斗さんの絵の魅力を語る時、レッドのセリフをそのまま引用するといいのではないか

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やさしくて、でもこわい。

いつまでも友だちでいてくれる。

 

真斗さんの描くマンガは、まさに私にとって友達であった

 

こういうデフォルメしつつもディテールを失わず、優しさと怖さを兼ね備えた絵をかける真斗さんはおそらくものすごく世の中の事象を観察しているのだと思う。

真斗さんのホームページに掲載されている公開画を拝見すると、『羽ねこ』などはおそろしいほどディテールが細かく、羽ねこが猫のようにもドラゴンのようにも見えて完成度が高い。

『祭り絵』の徹底したこだわりと丁寧さは電柱にこだわりをみせる庵野秀明さんを彷彿とさせる。

総じて、真斗さんという方は感受性が豊かなのだろうなと思う

感受性が豊か故にこの世の優しい部分にも怖い部分にも気づけ、描くことができる。

そうして描かれた絵はとても愛らしい(可愛らしさ・いとおしさ・可憐さ)。

 

日下先生がかの呟きの中で以下のようにおっしゃっている。

真斗先生との出会いを回想すると…、一番古い記憶までさかのぼるが、96年の11月~12月ごろだ。すごく不思議なことに「初めて会った日」より、「初めて彼女の絵を見た日」のほうが、鮮明に頭の中に刻み込まれている。

これには激しく同意である。

真斗さんの絵は、一度見たら忘れられない不思議な魅力がある。

信者だなんだという声を時折ネットで見つけることがあるが、信者とかではなく、やはりあの当時、リアルタイムでポケスペを楽しみにしていたファンにとって真斗さんの絵は良き友達のようなものだったのではないかと思うのだ

 

 

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ゾンビ・アルカトラズ―酷いけどダニー・トレホとイーサン・サプリーのファンは見てもいい映画―

Netflixで『ゾンビ・アルカトラズ』という映画を見てみた。

 

酷い映画だった(笑)

アルバトロスムービーになにかを求めてはいけないが、酷い。

ただし、酷い映画の中では面白い部類に入る。

だけど、酷い。

 

 

冒頭から妊婦を乗せた車がカーチェイスをするのだが、妊婦を乗っけてるのにそんなに飛ばしてええのんかいと突っ込まざるを得ない。

車は案の定スピードの出しすぎ、というか運転手が調子にノリすぎて横転

その横転のシーンがチープなCGを使っているのでどう見てもコメディ映画のワンシーンにしか見えない。

場面は変わってアルカトラズ。

刑務所の機能をフルに使って防衛しているのだけど。

いや、あのね、アルカトラズはかつて刑務所だけだっただけで、今はただの観光地だからね?と突っ込まざるをえない。

そんなアルカトラズもあっさりゾンビに襲撃されてしまう。

それは映画が開始して8分の出来事。三宅隆太監督が話していた1幕から2幕へのベストな移行タイミングを見事に無視した切り替えだ。

登場人物達にも全然感情移入ができない。

ビデオで「ワクチン作りました。効果もあります」と公言しているまだ会ったこともない博士に希望を託す女科学者

なんじゃそりゃ!!?

君はyoutuberに憧れる女子中学生かね?

この女科学者、『ディープ・ブルー』のスーザン並みに最後食われるのかと思いきや全然そんなことはない。

このどう見ても自己中な女の行動は映画の最後まで正当化されるのである。

劇中ところどころに町を空撮した映像が入る。

おそらくライブラリー映像だと思うのだが、無編集で使っているから酷いのなんの。

ヘリコプターの機影が入ったまま使用しているので、てっきり救助隊でも来たのかと思った。

ビル群を空撮した映像も普通に車がびゅんびゅん走っている

これ、ゾンビによって荒廃した世界が舞台だよね??

ゾンビ映画で忘れてはならないのがグロシーン。

残念なことにこの映画ではグロシーンを有効活用できていない。

グロシーンが入ったとたん物語がそこでストップしてしまうのだ。

特に酷かったのが赤ん坊の下り。

妊婦の腹を裂いて取り出して、さらに感染した赤ん坊を殺すって...

監督、あんたはこのシーンで観客に何を伝えたかったの。

この映画のグロシーンは単なる酷いシーンである。

 

 

この映画、ただ単に酷いだけなのかというとそんなことはない。

見どころはちゃんとある

それは、ダニー・トレホとイーサン・サプリーが出演していることである。

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ダニー・トレホは言わずもがな。

私が好きなトレホは『デスペラード』で十字架のナイフを投げるトレホである。

イーサン・サプリーは『エボリューション』等に出演しているが、私が忘れられないのは小学生の時に夢中になって見ていた『ボーイ・ミーツ・ワールド』のフランキーである。

作中での二人の活躍はほんとに素晴らしい。

ある意味、この二人が出演しているから最後まで見られたと思う。

特に制作陣はダニー・トレホの扱い方をよくわかっている。

どう控えめに見てもトレホが拳銃を撃ったときだけ命中したゾンビがふっとんでいるし、作中最もまともなことを言っているのはトレホ演じるカスピアンである。

実はトレホは映画が始まって30分くらいのところであっさりゾンビ化してしまう。

もうすごくあっさりしてて、観客としてはびっくりしたり悔しがる暇すらないほどだ。

ゾンビ化したトレホは信頼していた仲間によって葬られるわけだが、その殺され方が実に素晴らしい

トレホゾンビだからそれくらいじゃ死なないよね、という制作陣の気配りが感じられる。

 

 

しかし、この映画あと少し頑張ればいい映画になったと思う。

なんせ、人間がなぜ(作中の)ウイルスに感染したらゾンビ化するのかをきちんと考察しているのである。

その点では『ワールド・ウォーZ』より丁寧と言えるのではないか。

本作ではゾンビ化する原因はどうやら微生物らしい。

微生物は人間に感染すると、体を動かす主導権を奪い筋肉を自在に動かす。

だからこそ、「もしかしたら感染者には意識が残っているのかもしれない」という疑問が生まれる。

さらに、微生物同士はなんらかの方法を使って互いに情報伝達をしている。

ここだけ聞けば、『遊星からの物体X』を彷彿とさせるではないか。

微生物という群に注目したのだから、群vs個人という構図で徹底的に人間を皮肉るのかと思った

作中の人間サイドは一切統率がとれておらず、皆自分勝手な行動をとっていたから、その構図できちんと描けばいい映画になったと思うのだが、やはりアルバトロス。私達を裏切らない。

 

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フェーズ6は傑作映画―滅亡した世界でのロードムービー―

Netflixで『フェーズ6』という映画を見てみた。

 

 

見終わった後に「かなり私好みの映画だなー」と一人唸ってしまったが、それもそのはず。

この映画の監督は『ラスト・デイズ』のアレックス・パストール監督なのである。

 

 

『フェーズ6』は致死率100%のウイルスが蔓延した世界で生き残りをかけて、あるビーチに向かって旅をする四人の若者の話である。

ウイルスといってもゾンビや感染者に襲われるとかそんな映画ではない。

あくまで感染して発症したら体から出血をして死ぬ正統派(?)ウイルスなのである。

また、この手の映画にはお約束の「ウイルスよりほんとに怖いのは人間だよね」というシーンも欠かしていない。

監督はきちんとそのシーンも入れている。

が、その「ほんとに怖いのは人間だよね」というシーンを引っ張らないのが素晴らしい。

テンポがいいし、物語が逸れないからである。

そして、忘れてはならないのは、この映画で最も「ほんとに怖いのは人間」の役割をしているのは他ならぬ主人公達である。

だから、主人公達よりも怖い人間が出てきてしまっては、この映画は壊れてしまうのだ。

 

この映画で思わず唸ってしまったポイントを3つに分けてみた。

 

・マスクの落書きでキャラクターを描ききっている点。

主人公達は感染しないためにマスクをしている。

映画で登場人物にマスクをさせるというのは諸刃の剣だ。

シーンに緊張感を持たせることができる一方で、誰が誰なのかわからなくなってしまう。

最悪誰なのかわかっても、映画的に見栄えがよろしくない。

顔を覆い隠すということは、映画の中ではモブキャラになってしまうのだ。

この映画ではそれをマスクの落書きで補っている。

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おそらくブライアンが提案したであろうこの落書き。

それぞれのキャラが四人の中でどのような立ち位置なのかがマスクに描かれた絵だけで判別できる

また、マスクに落書きをするという、ちょっとこの世の中を舐めた感じが物語を加速させる。

 

・背景である自然が美しく描写されている。

この映画は全体にやるせない感じが染み込んでいる

ウイルスによって死滅するのは人間だけ。

生き死にに必死になり、自ら科したルールに意地になるのも人間だけ。

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物語が進むにつれて当初の目的が曖昧になってくる。

ビーチに行って何したいんだっけ?と主人公達にも観客にも疑問が湧き始める。

なんのためにルールを設けたんだっけと、自分達を守るはずのルールはいつしかルールありきの自分達になってしまっている。

主人公達は美しい景観の中ただ車を走らせる。他人から様々な物を奪いながら

主人公達のどうしようもない感じが人間と自然の対比で残酷に描かれているのだ。

 

・この映画のキーは車

マッドマックスほどではないが、この映画は車が重要な役割を果たしている。

ガソリンが無くなることは死を意味するし、車から降ろされることも死を意味する

なにより車から降ろされたらただ黙って孤独の中死を待たなければならない

映画の序盤で「時に生きることは死を選ぶより辛い」というセリフが出て来るが、まさに車を手放すことはそういうことである。

だから、主人公達は必死になって車を手放そうとしない。

他人を見捨てても、他人を殺しても車を守ろうとする

それが繰り返されるからこそ、映画のクライマックス、まさにボス戦ともいえるあのシーンで一気に緊張感が走るのだ。

 

この映画では他にも見どころがある。

例えばダニーの旧友ケイト

この子って四人の中で一番悪いよねとか(笑)。

なにせ自分では手を下さないけど、ダニーに銃を渡したり、夜な夜な自己中な行動をしたり。

冷静に考えたら結構冷酷でウザい女ともいえるのだが、彼女のどこか温厚そうな見た目と「こんな世の中だからこれくらいの卑怯さは居るか」と妙に納得させる感が彼女を魅力的にしている。

その他、道中で遭った人達のその後がわからないこと。

ブライアンに置き去りにされたあの人達とか、仲間割れをして一人銃を突きつけられたあの人とか。

おそらく無事であるはずがないのだが、最期まで見せてくれないのが後味が悪くて恐ろしいのである。

仮に生きていたとしても、それって幸せなのかな?とも思ってしまう。

 

『ラスト・デイズ』は最後に希望を見出したが、こちらの『フェーズ6』は後味、というか映画全体の空気感がよろしくない(褒め言葉)。

ブライアンがぬるいビールを口にしては「小便みたいだ」と愚痴をこぼすが、まさにこの映画の総評はそんな感じ(良い意味で)。

ハッピーエンドでもないし、バッドエンドでもない。

これからどうしたらいいのかもわからない。

幼いころの思い出の地で、生き残った主人公達がこれからも生き残っていかなきゃいけないのかと。

まさにビールが飲みたいけど、冷えてないからぬるいまま飲むかととりあえず口にするそんな感じが滲み出ている良い映画だった。 

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七つまでは神のうち―久しぶりに声に出して叫んだホラー映画―

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Netflixでホラー映画でも見ようと検索してみたら『七つまでは神のうち』というホラー映画があったので見てみた。

 

 

この映画の監督・脚本はあの三宅隆太さんなのである。

三宅隆太さんといえばライムスター宇多丸さんのラジオで映画とかスクリプトドクターとかブルボンとかについて語っているお方で、宇多丸さんのラジオを聞いている人で知らない人はいないのではないかと思う。

 

で、この映画は三宅隆太さんいわくタマフルで話してきた要素を詰め込んだ映画なのである。

「なんだ、猫か…。」とか主観ショットとか心霊映画のカメラワークとかフィクションラインとかジャンルミックスとかカニと修造理論とか色々な要素が詰め込まれているのだ!

 

映画の序盤はジェイソンとかの殺人鬼ホラー映画っぽいのに途中でガラッと雰囲気が変わる。

時間を図ってみたら映画が始まって25分〜30分のところ(1幕から2幕に移る)で、あの日本人形の下りが始まるのである。

もうその日本人形の下り、いや、メリーさんの電話的な下りはほんとに怖く「うぇあ! ぅわわ!」と久しぶりに声に出して叫んでしまった。

2幕から3幕に移ると一気に話が加速し、「ああー、今までの話ってそういうことだったのかー」と観客として納得する。

一連の出来事が終わった後のお見送りの時間も素晴らしい。

「あー、なるほど。俺はこういう映画を見てたのか」と映画を見終わえる。

徹底した復讐劇も素晴らしかった。

物語のラスト、てっきりあの子だけ助かるのかと思いきや一番苦しいやり方で仕返しをするなんて容赦ないな(褒め言葉)と。

おそらくあの時の復讐している側に私が感情移入できたのは、私も親になったからだと思う。

心霊とは人の心から来るものという三宅隆太さんらしい残忍さだった。

 

ネットを見てみると映画の序盤の主人公の行動に対する指摘が書かれているが、私はむしろあの方がリアル感があった。

「いや、そんな隠れ方絶対見つかるでしょ」とか「そんなことより警察に連絡しろ」とか「ええから目隠しとったれよ」とか突っ込みどころはあるが、それらを全部含めて「あー、この子人生でずっと利己的な行動を選択してきたんだな(しかも粗だらけの)」と映画のラストに繋がる伏線になっていたと思う。

 

この映画で惜しいのはそういう物語の粗でもなく、低予算故の特殊効果のヘボさでもなく、2011年に公開したことだと思う。

やはりあの震災の年に公開したのは痛手だったのではないか。

もう少し話題になってもいい映画だったと思うだけに残念。

今はNetflixで見れるのでぜひ皆さん挑戦していただきたい。

 

 

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シリアル・イノベーターとスタンド・アローン・コンプレックス

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知人に頂いた書籍『シリアル・イノベーター 非シリコンバレーイノベーションの流儀』を読了した。

シリアル・イノベーター 「非シリコンバレー型」イノベーションの流儀

シリアル・イノベーター 「非シリコンバレー型」イノベーションの流儀

 

 イノベーションと聞くと私達はappleGooglefacebookなどシリコンバレー型のイノベーションを連想するが、日本にそのイノベーションの型をそのまま持ってきても成立しないという観点から書かれた本である。

 

書籍の中ではシリアル・イノベーターを以下のように定義している。

長い歴史を持った大企業でミドルという難しい立場にありながら「シリアル(Serial)」、つまり幾度となくイノベーションを起こす人のことだ。

また書籍中にはイノベーターの特性について以下のようにも書かれている。

特に自立心は、シリアル・イノベーターにとって欠かせない特性だ。

実はこの自立心こそがプロジェクトに対する自信と大きく関係している。ここでいう自信とは、自ら行動し、何を行うかを決め、時には他者が下した決定にさえも挑む自信である。

さらにシリアルイノベーターのリスクの選択についてはこう書かれている。

リスクが適度なものかどうかという判断は、自ら顧客や課題、自身が所属する組織について研究と理解を怠らないからこそ下せる。

一見するとシリアル・イノベーターは自己中、ワンマンなイメージにとられるかもしれないがそうではない。

書籍にはこうも書かれている。

シリアル・イノベーターはもし自分が間違った判断を下せば、誰かが指摘してくれると知っている。

 これらを簡潔にまとめると、シリアル・イノベーターは自ら顧客や組織、社会課題など全体を理解しているが故に自信を持って自らプロジェクトを実行することができるというわけである。

それらは自己中心的な行動ではない。シリアル・イノベーターは社会が求めている見えない課題に挑み、顧客が気づいていないニーズを発掘し、製品を開発してより善い社会を実現しようと行動をしている。

 

 

さて、これらシリアル・イノベーターの特性を見て私はある言葉を思い出した。

それは「スタンド・アローン・コンプレックス」である。

スタンド・アローン・コンプレックスとは攻殻機動隊 S.A.C シリーズに出てきた言葉である。

wikipediaに概要が書かれている。

作中における電脳技術という新たな情報ネットワークにより、独立した個人が、結果的に集団的総意に基づく行動を見せる社会現象を言う。孤立した個人(スタンドアローン)でありながらも全体として集団的な行動(コンプレックス)をとることからこう呼ばれる。

一見、個別で行動しているように見えるが、実はそれは集団の総意に基づく行動をとっているということである。

攻殻機動隊 S.A.C.では笑い男とクゼがスタンド・アローン・コンプレックスなキャラクターとして登場する。

笑い男はある企業を巡る陰謀の事実を知ってしまい誘拐事件とハッキング事件を起こす。

クゼは招慰難民の意思を汲み取り、難民のゴーストをネットに運び出し強制的な進化をしようと試みる。

両者は社会の中の小さな綻びに挑戦し、自らが実践できる範囲で行動を起こしている

その義侠心と有言実行の行動力に憧れた者は彼らを手助けする

一見両者は社会規範を逸脱した犯罪者のようだが、実は彼らを取り巻くコミュニティが望んだ行動をとっている。

だからこそ、草薙素子は彼らを心底憎むことはできない。

 

この、一見するとルールを無視した行動をとっているが、実は社会が求めた行動をとっている点はシリアル・イノベーターもスタンド・アローン・コンプレックスも非常によく似ていると思った。

しかし驚くべきは、攻殻機動隊 S.A.C.が2002年公開の作品だという事実である。

2002年といえばiPodが発売開始された翌年

そんな時代にシリアル・イノベーターを連想させるキャラクターを描けるとは、フィクションの世界はすごい。